みんなの小さな光

ひとくちの美味しさに見つけた小さな光

Tags: 食欲不振, 回復期, 小さな幸せ, 日常の発見, 希望, 食べる喜び

食事をすることの重み

体調を崩し、思うように食事が摂れなくなった時期がありました。それまでは当たり前のように感じていた「食べる」という行為が、急に重たいものになったのです。食欲がなく、何を食べても味がしない、あるいは吐き気を催す。そんな日々に、食事の時間が苦痛に変わっていきました。

栄養を摂らなければならないという義務感だけが残され、かつて大好きだった食べ物を見ても、何の感情も湧きません。食卓を囲む家族との時間も、申し訳なさや疎外感を感じてしまい、辛いものでした。このまま、食べる喜びを取り戻すことはできるのだろうか。漠然とした不安が常に心の中にありました。

諦めの中で見つけた「美味しい」

病状が少し落ち着いてきた頃、それでも食欲はなかなか戻りませんでした。家族が「何か食べられそうなものはない?」と尋ねてくれても、何も思い浮かばず、困らせてばかりでした。そんなある日、食卓に小さなお皿に乗せられた果物がありました。剥いて、一口サイズに切ってくれていたのです。特別期待もせず、ただ水分補給のつもりで、その一切れを口にしました。

すると、ふわっと広がる甘みと、みずみずしい香りが、ぼんやりとしていた感覚を揺り起こしたのです。それは、病気になる前には当たり前すぎて気づかなかった、果物本来の、素朴で確かな「美味しい」という感覚でした。

驚きました。そして、その「美味しい」という感覚が、まるで遠い場所に置き忘れてきた希望の光のように感じられたのです。体に染み渡るようなそのひとくちの美味しさが、栄養補給という義務感を超えて、心をじんわりと温めてくれました。

日常の中に灯る光

その日を境に、すぐに何でも食べられるようになったわけではありませんが、食事に対する見方が少しずつ変わっていきました。義務ではなく、もしかしたら、このひとくちの中に「小さな美味しい」が見つかるかもしれない、という希望を持って食事に向き合えるようになったのです。

柔らかく煮た野菜の優しい甘み、温かい飲み物のほっとする温度、お粥に添えられた梅干しの酸味。一つ一つは本当にささやかな感覚でしたが、それらが繋がって、失っていた食べる喜びを少しずつ取り戻していきました。

あの時の果物のひとくちが教えてくれたのは、大きな回復や劇的な変化だけが希望なのではなく、日常の中に、五感を通して感じられる小さな喜びにも、心を前向きにする力があるということでした。

ささやかな光の積み重ね

体調不良と向き合う日々は、先が見えずに辛いこともたくさんあります。しかし、そんな中でも、思わぬ瞬間に「小さな光」を見つけることができるのかもしれません。それは、私にとっての「ひとくちの美味しさ」のように、本当にささやかな感覚や出来事かもしれません。

体調が万全ではない今も、日々の食事の中で「美味しい」と感じるひとときがあることに感謝しています。それは、あの辛かった日々を乗り越えてきた証のように感じられるからです。

「みんなの小さな光」には、それぞれの場所で、それぞれの形で「小さな希望」を見つけた体験談が集まっています。こうした体験談に触れることが、今辛い状況にある方にとって、ご自身の日常の中に灯る小さな光に気づくきっかけとなれば、大変嬉しく思います。