みんなの小さな光

触れることで気づいた小さな光

Tags: 希望, 回復, 日常, 気づき, 触覚

体調が優れない日々が続くと、体だけでなく心も重くなり、周囲との繋がりが薄れていくように感じることがあります。世界が遠く、ぼやけて見え、まるで自分だけが取り残されてしまったかのような孤独感に襲われることも少なくありません。以前は当たり前だった日常のささやかな出来事も、色褪せて見えてしまうものです。

そんな頃のことです。ベッドの上で過ごす時間が長く、手に取るものといえば、飲み物の入ったマグカップか、読みかけの本くらいでした。何もかもがおっくうで、五感も鈍くなっているように感じていました。

ある日、何気なく傍らに置いてあったブランケットに指先が触れました。意識して触れたわけではありませんでしたが、その柔らかく、少し毛羽立った感触が指先に伝わってきた時、ほんの一瞬、滞っていた時間の流れが動き出したような感覚がありました。それは大きな感動ではありませんでしたが、静かで、温かい気づきでした。

ああ、私はまだ、何かを「感じる」ことができるのだ。

そう思った時、少しだけ心が軽くなったような気がしたのです。それまで、自分の体の不調や心の沈みにばかり意識が向いていましたが、ブランケットの感触という、すぐそこにある現実に触れることで、自分という存在が確かにここにあり、世界と繋がっていることを感じられたのかもしれません。

それから、身の回りのものに触れてみるようになりました。手に馴染んだマグカップの陶器のひんやりとした滑らかさ。ベッドサイドに置いた木の小箱の、少しざらつくような手触り。お気に入りの本の表紙の、紙ならではの温かみ。それぞれの物が持つ独自の質感や存在感を、指先を通して丁寧に感じてみました。

一つ一つはごく些細なことですが、その「触れる」という行為を通して、少しずつ自分の感覚が研ぎ澄まされていくように感じました。そして、これまで見過ごしていた、身の回りの愛着のある物たちが、静かに自分を支えてくれているかのような温かさを感じることができたのです。それは、体調が優れない中でも見つけることのできる、とても小さな、けれど確かな光でした。

体調と向き合う過程では、時に何もできない、何も感じられないと感じてしまうことがあるかもしれません。しかし、たとえほんのわずかでも、身近な物にそっと触れてみるという行為が、止まっていた時間や感覚を呼び覚ますきっかけになることもあるのかもしれない、と体験を通して学びました。

大きな一歩を踏み出すことが難しくても、手の中にある小さな世界に意識を向けてみることから、何か新しい気づきや、心に灯る小さな希望が見つかることがあるかもしれません。このサイトが、皆さんのそんな小さな光を見つけるお手伝いや、共有の場となれば幸いです。