ゆっくり味わうことで見つけた、食事の小さな喜び
食事の時間が教えてくれたこと
体調を崩していた時期は、食事を摂ること自体が大変なことでした。食欲がない、体が受け付けない、準備をする気力もない。かつては当たり前だった「食べる」という行為が、とても遠いものに感じられました。食事の時間は、栄養を摂るための義務のようになり、時には憂鬱にさえ感じることがありました。美味しいと感じる感覚も薄れてしまい、味気のない時間を過ごしていました。
そんな日々の中で、少しずつ体力が戻り始めた頃のことです。家族が小さな器に温かいスープを用意してくれました。ほんの少量でしたが、それを口にした時、今まで感じていなかった温かさや、かすかな野菜の甘みが体に染み渡るような感覚がありました。急いで食べるのではなく、レンゲ一杯ずつ、ゆっくりと口に運びました。その一口ごとに意識を向け、香りや舌触り、そして体がそれを受け入れてくれている感覚を丁寧に感じ取りました。
不思議なことに、ゆっくりと味わうことに集中するうち、心が少しずつ落ち着いていくのを感じました。それは、単に空腹を満たす行為ではなく、自分自身を労わる時間、五感を静かに使う時間へと変わっていったのです。たとえ少量でも、「これを食べられた」という小さな達成感は、その日の自信につながりました。
また、自分でハーブティーを丁寧に淹れてみることもありました。お湯を沸かす音、カップに注ぐ時の香り、両手で包み込んだ時の温かさ。普段なら気に留めないような一つ一つの動作や感覚が、その時の私にとってはとても新鮮で、心が満たされる瞬間でした。味覚だけでなく、嗅覚や触覚、視覚といった他の感覚も意識することで、食事や飲み物の時間が、単なる栄養補給を超えた豊かな時間へと変化していきました。
日常にある小さな希望の光
体調が不安定な中でも、食事という日常の行為に意識的に向き合うことで、たくさんの小さな希望や喜びが隠されていることに気づくことができました。量は少なくても、味付けはシンプルでも、ゆっくりと丁寧に味わうことで得られる満足感。それは、失われたと思っていた感覚の再発見であり、今の自分の体ができることを受け入れる過程でもありました。
完全に元気だった頃と同じように食べられなくても、今の状況で楽しめること、感謝できることを見つけることの大切さを学びました。そして、小さな変化や進歩を自分で認め、「よくやったね」と自分に語りかけることの重要性も知りました。
私たち一人ひとりの日常の中には、見過ごしてしまいそうな小さな光がたくさん散りばめられています。体調不良と向き合う中で見つけた、食事の時間の新しい価値。それは、私の心を照らす大切な光となりました。同じように日々の食事と向き合っている皆さんも、それぞれの「小さな喜び」を見つけられますように。そして、ここでそれぞれの体験を共有することが、誰かの希望の光に繋がることを願っています。