体調と向き合う中で見つけた、身近な「ありがとう」の光
見えなくなった当たり前の中で
体調を崩し、それまでの日常が遠のいてしまったとき、心には大きな不安や寂しさが募ることがあります。思うように体が動かせなかったり、それまで簡単にできていたことが難しくなったりすると、失ってしまったものばかりに目が向いてしまいがちです。未来は不確かで、この状況がいつまで続くのだろうかという思いに囚われてしまうこともあるかもしれません。
そうした日々の中で、私は、今まで自分がどれほど多くの「当たり前」に囲まれて生きていたのかを知りました。それは、健康であること、自分の力で身の回りのことができること、自由に外出できることなど、挙げればきりがありません。それらを失ったと感じたとき、目の前にはただ、足りないもの、できないことばかりが広がっているように思えました。
ささやかな光となった感謝の気持ち
しかし、そんな中でも、心を温めてくれる小さな光に出会うことがありました。それは、誰かのふとした優しさだったり、ごく身近な出来事の中に隠されていたりしました。
例えば、家族がそっと枕元に置いてくれた、飲みやすいように移し替えられた水。以前なら自分で簡単にできたことですが、その時の私には、そのひと手間が何よりも温かく感じられました。「ありがとう」という言葉が、心から自然と溢れてきました。
友人からの連絡も、大きな支えでした。励ましの言葉というよりは、ただ「元気にしてる?」といった、日常の延長のような短いメッセージ。それだけでも、自分が世界から切り離されてしまったわけではないのだと感じられ、孤独感が和らぎました。返信にすぐに困ってしまうような状況でも、送ってくれたという事実そのものに感謝の気持ちが湧きました。
また、窓の外を眺める時間が増えたことで、それまで気づかなかったささやかな変化に目が留まるようになりました。季節の移り変わり、空の色、近所の木に留まる鳥。特別なことではありませんが、変わりゆく自然の営みを見ていると、自分もこの世界の一部なのだと感じられ、静かな安らぎを得ることができました。当たり前のようにそこに存在している景色や自然の力に、静かに感謝する気持ちが芽生えました。
体調が優れない時には、簡単な食事の支度さえ億劫になることがあります。そんな時、温かいスープ一杯を用意できた自分自身に感謝したこともあります。大きな目標ではなく、その日の、その時の「できた」こと、小さな一歩にも「ありがとう」と思えるようになりました。
今、そしてこれから
これらの小さな体験を通して、私は、状況がどんなに厳しくても、感謝の気持ちは心の中に光を灯してくれるのだということを学びました。失われたものに目を向けるのではなく、今、自分に残されているもの、そして誰かから向けられる温かさに気づくこと。それは、決して派手な光ではありませんが、冷え切った心にそっと寄り添ってくれる、小さな、しかし確かな希望の種となります。
体調の波は今もありますし、不安がゼロになったわけではありません。でも、身近にある「ありがとう」を見つけるたびに、心がふっと軽くなるのを感じます。完璧な回復を目指すことも大切ですが、それと同じくらい、今ある小さな幸せや、自分を支えてくれる存在に感謝すること。それが、日々の暮らしの中で、前を向くための静かな力になるのだと感じています。
このサイトで、他の皆さんが見つけた「小さな光」に触れるたび、一人ではないという心強さを感じます。それぞれの場所で見つけた希望の種を分かち合うことで、その光はきっと、もっと大きなものになっていくのだと信じています。